宗像三女神とは?(宗像三神)
宗像三女神とは、読み方は「むなかたさんじょしん」と読み、美人で有名な、3人の海の女神です。「宗像三神」とも呼ばれ、読み方は「むなかたさんんしん」です。宗像三女神は、次の3人の女神のことを指します。
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元にする文献により、長女が変わることもありますが、一般的には、長女はタギリヒメとすることがほとんどです。一方、次女と三女については、元にする文献により異なることが多いため、はっきりとはしていません。ただし、一般的には、次女はタキツヒメ、三女はイチキシマヒメとすることが多いようです。
宗像三女神は、日本の代表的な海の神ですが、名前を聞いたことのない方も多いかもしれません。しかし、宗像三女神の名前を聞いたことがない方でも、海に鳥居のある、広島県の宮島の有名な神社「厳島神社(いつくしま神社)」は、知っている方が多いかもしれません。「厳島神社」の祭神こそが、宗像三女神です。
宗像三神は、元々は、北九州地方を基盤とする、海人集団(あま集団、「海女」ではなく「海人」)の信奉する海の神でした。しかし宗像三神は、大陸との交流が盛んになった4世紀末頃になると、九州と朝鮮の荒波である玄界灘を航海する船を守護する神として、また、「古代の国際交流の守り神」として、大切な役割を担うようになってきました。それに伴い宗像三神は大和朝廷の崇敬も受けるようになり、神威を高めるようになりました。その結果、現在では、宗像三神の分祀は8500社近くあり、神社数ランキングでも第5位になるほどの、身近な神様となっています。
宗像三女神の中でも、特にとりわけ美人で人気も高いのが、三女(または次女)の「イチキシマヒメ」です。「イチキシマヒメ」は、神仏習合により仏教の弁財天と同一神とされ、妖艶な「弁財天」としても、広く信仰されています。
宗像三女神の神話と誕生
宗像三神は、神話の中では、次のようにして誕生しました。
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その後、アマテラスに、九州と朝鮮の間にある玄界灘に降って、海の回護神となるように命じられ、海の神となりました。
宗像三女神の神社とご利益
全国各地にある宗像三女神の神社のほとんどは、北九州の玄界灘にある「宗像大社(むなかた大社)」か、広島県の宮島の「厳島神社(いつくしま神社)」のどちらかから分霊されたものです。また、神仏混合により、イチキシマヒメが弁財天と同神とみなされるようなったため、全国の宗像系神社・厳島系神社の多くで、同時に弁財天も祀られるようになりました。
そのため、宗像三女神を主祭神と祀っている神社は、全国8500社にのぼる宗像神社(宗方神社・宗形神社)や厳島神社があります。また、それに加えて、関連の神社としては弁天社もありますので、あなたの住んでいる地域にも、1つは宗像三神と関係のある神社があるかもしれません。その中でも、特に有名な神社としては、次のようなものがあります。
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そのため、関東なら神奈川の江ノ島にある「江島神社」、関西なら滋賀にある「都久夫須麻神社」が近いかもしれません。毎年6月1日には、「都久夫須麻神社」で三社弁財天祭も行われ、江島神社と厳島神社の神官が、都久夫須麻神社でそれぞれの分霊を迎える祭りも行われます。そのため6月1日に都久夫須麻神社に行けば、日本三大弁財天の全てを一回で参拝することもできます。また関西なら、奈良県吉野郡天川村にも、江ノ島の代わりに三大弁財天に数えられることもある「天河大辨財天社(天河大弁財天社)」という弁財天社があります。
宗像三女神のご利益・神徳は、海上安全・交通安全・豊漁・商売繁盛です。また、宗像三女神の三女(または次女)であるイチキシマヒメは、弁財天と同じと考えられるようになったため、弁財天のもつご利益も兼ね備えています。弁財天は、本来はインドのヒンズー教の神で、財宝・美・音楽・芸能をつかさどっています。また日本では、水の神・農業神としても祀られています。そのため、弁財社のある神社では、知恵・財福・戦勝・子孫繁栄に加え、音楽・技芸・弁舌などの芸能に関するご利益も、受けることができます。
なお、弁財天と関係のありそうな「辯天宗(弁天宗、べんてんしゅう)」は、実際には、1934年(昭和9年)に大森智辯という女性が天啓を受けて始まった宗教なので、昔からあるものではありません。「辯天宗」は、甲子園の常連でもある奈良の「智辯学園高等学校」や、和歌山の「智辯学園和歌山高等学校」を開校していることから、高校関連で有名かもしれません。辯天宗の本部は大阪府茨木市の「冥應寺(めいおうじ)」にあり、辯天宗の総本山は、奈良県五條市の「如意寺」です。