大山咋神とは:おおやまくいのかみとは
大山咋神とは、「オオヤマクイノカミ」と読む、男神です。次のような特徴があります。
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次に、大山咋神とはどのような神様か、詳しく説明していきます。
大山咋神とは:古事記や神話
大山咋神とは、神話伝承の中では、主に次の2つで登場します。
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「古事記」では、「大国主の国造り神話」の最後に記されており、次のような神様です。
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「山城国風土記」では、丹塗矢伝説の中で描かれており、「丹塗矢(にぬりや)」とは、赤く塗った「鏑矢(かぶらや)」のことです。また、「鏑矢」とは、音のなる矢のことです。丹塗矢伝説では、次のように記されています。
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なお、「丹塗矢伝説」は、古代農耕祭祀を象徴しており、矢に化身した「穀霊」である大山咋神と、それを祀る「巫女」である玉依姫命との、「神婚の秘儀」と「新しい穀霊の再生」を表しています。
以上のように、大山咋神とは、矢に変身するため、豊穣神としての性格を持っています。
ちなみに、古事記にも「丹塗矢伝説」と呼ばれる伝承がありますが、古事記の丹塗矢伝説は、大山咋神とは関係ありません。古事記の丹塗矢伝説は、「大物主(おおものぬし)」や「大神神社(おおみわじんじゃ)」や「三輪山(みわやま)」にちなんだ神話です。
ただし、「大物主」も、「大山咋神」と同じ山の神様なので、似ている面はあります。また、比叡山の延暦寺では、大物主の分霊を勧請(かんじょう)して「大比叡」と呼んでおり、比叡山の従来の祭神である大山咋神を「小比叡」と呼んでいるため、比叡山では、大物主と大山咋神は、関連して扱われています。
大山咋神とは:大山咋神社とご利益
大山咋神とは、神社は主に次の2種類に分けられます。
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「松尾社系」は、「松尾神社」と呼ばれる全国各地にある神社で、「まつお」と呼んだり「まつのお」と呼んだりして、「松尾」を社名としている神社のことです。松尾神社の総本社は、京都最古の神社と言われる「松尾大社」で、こちらも「まつおたいしゃ」と呼ぶこともあれば、「まつのおたいしゃ」と呼ぶこともあります。
松尾社は、全て、大山咋神を祭神として祀っていますが、特に松尾社系の大山咋神は、酒造の守護神としても崇敬を集めているという側面もあります。そのため、京都の松尾大社では、酒造業反映祈願の祭りとして、11月初旬に上卯祭(じょううさい)というものが催され、全国から酒造業関係者が参集します。
「日吉(日枝)神社系」は、「日吉神社」や「日枝神社」と呼ばれる全国各地にある神社です。日吉・日枝神社系の総本社は、滋賀県側の比叡山麓にある「日吉大社(ひよし大社)」です。
なお、大山咋神は、神社だけではなく、仏教の天台宗とも関係の深い神様です。大山咋神と天台宗との関係は、平安遷都後の奈良時代末期である788年(延暦7年)に、唐から戻ってきた最澄が比叡山に延暦寺を建立し、天台宗を開いたことから始まります。最澄は、比叡山の滋賀県側の麓にある日吉大社を、唐の天台山国清寺の山王祠にちなんで「日吉山王」と呼びました。「山王」には、「山の神」という意味があり、日吉大社の神霊は、「日吉大社」は、「山王信仰」の中心ともなりました。
そして、仏教系の中では、大山咋神は「山王権現」「日枝権現」とも呼ばれ、天台系の寺院を中心にして、全国3,790社に勧請されています。
なお、天台密教では、鎮護国家、増益延命、息災といった具体的な霊験を、加持祈祷で実現するのを目的にしていたため、大山咋神も同じように国レベルで布教が勧められていきました。その結果、大山咋神の霊威は全国に広がっていき、実力派の神様として親しまれてています。
大山咋神のご利益には、次のようなものがあります。
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