高倉下とは?
「高倉下(タカクラジ)」とは、高天原(天界)から葦原の中つ国(人間界)に降り立つ「天孫降臨」の主役である「邇邇芸命(ニニギノミコト)」の甥になります。
「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」からたどっていくと、次のようになります。
1.「天照大御神」の息子が「天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)」 2.「天忍穂耳命」の次男が「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」、長男が「邇邇芸命(ニニギノミコト)」 3.「饒速日命」と「登美夜毘売(トミヤヒメ)」の長男が「高倉下」、次男が「宇摩志麻治命(ウマシマヂノミコト)」 |
「天照大御神」は、高倉下の曾祖母になります。そのため、「天照大御神」から見ると、高倉下はひ孫です。
「天忍穂耳命」は、高倉下の祖父になります。そのため、「天忍穂耳命」から見ると、高倉下は孫です。「天忍穂耳命」は、本来、高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに)に下ることになっていたが、息子の「邇邇芸命(ニニギ)」に譲った男神です。
「邇邇芸命(ニニギ)」は、高倉下のおじさんになります。そのため「邇邇芸命」から見ると、高倉下は甥です。「邇邇芸命」は、高天原から葦原中国に降り立った初めての神で、天孫降臨の主役です。
「饒速日命(ニギハヤヒ)」は、高倉下の父親になります。そのため「饒速日命」から見ると、高倉下は長男です。「饒速日命」は、初代天皇である神武天皇が大和を平定するまで、大和の支配者だった天神の子です。
「登美夜毘売(トミヤヒメ・ミカシキヤヒメ)」は、高倉下の母親になります。そのため「登美夜毘売」から見ると、高倉下は長男です。「登美夜毘売」は、初代天皇である神武天皇と2回戦った「長髄彦(ナガスネヒコ)」の妹です。
「長髄彦」は、高倉下の母方の伯父になります。そのため「長髄彦」から見ると、高倉下は甥です。
「宇摩志麻治命(ウマシマジ)」は、高倉下の弟になります。「宇摩志麻治命」から見ると、高倉下は兄です。「宇摩志麻治命」は、神武天皇と戦っている「長髄彦」を斬り、戦争を終わらせた人物で、物部氏の祖神です。
高倉下と天香山命
「高倉下」は『先代旧事本紀』に出てくる「天香山命(アメノカグヤマノミコト)」と同一人物であるとも言われています。「天香山命」である場合も、「饒速日命(ニギハヤヒ)」の長男であることに変わりありませんが、母親が違ってきます。
1.「饒速日命」と「天道日女命(アメノミチヒメ)」の間に、長男である「高倉下」が生まれる 2.「饒速日命」と「登美夜毘売(トミヤヒメ)」の間に、次男である「宇摩志麻治命(ウマシマジ)」が生まれる |
この場合、「高倉下」と「宇摩志麻治命」は、異母兄弟になります。
「天香山命」は、高天原で生まれた神であり、「饒速日命(ニギハヤヒ)」の天孫降臨に従った32柱の1人です。また『天孫本記』では、紀伊国の「熊野邑(現在の和歌山県新宮市」)」に住んでいたとも言われています。
高倉下命と神武東征
高倉下(タカクラジ)は、神武天皇が大和を平定する「神武東征」の物語で、次のようにして出てきます。
1.神武天皇は、熊野(和歌山県の南側)から、大和(奈良県)へ向かうルートを選択する 2.途中、「名草邑(なくさむら、現在の和歌山県海南市のあたり)」で「名草戸畔(ナクサトベ)」を倒す 3.海路で熊野の「荒坂の津(現在の三重県熊野市二木島)」に着いたあたりで、神武天皇の兄である「稲飯命(イナヒ)」と「三毛入野命(ミケイリ)」がいなくなる 4.神武天皇は、息子の「手研耳命(タギシミミ)」と共に進むが、「荒坂の津」で難破し、二木島の里人に助けられる 5.荒坂の津で、「丹敷戸畔(ニシキトベ)」を倒し、さらに進む 6.進んでいくと、神がいて、神の毒気で、神武天皇の軍は、気を失う 7.熊野の高倉下が、『神剣「布都御魂(ふつみたま)」で神武天皇を救うよう、神からに命じられる夢』を見る 8.高倉下が、夢で見た倉庫に行くと、倉庫に「布都御魂」があり、神武天皇に捧げる 9.神武天皇の軍は目覚めて、窮地を脱する |
「名草戸畔」や「丹敷戸畔」の「戸畔(とべ)」は、土豪の女性の族長を表す言葉なので、2人とも女性です。
「稲飯命」と「三毛入野命」は、現地の伝承によれば、いなくなった後、次のような経緯で、現地の神社に祀られました。
稲飯命:二木島湾に漂着して、現地の「室古神社」に祀られた 三毛入野命:遺骸は見つからなかったが、現地の「阿古師神社」に祀られた |
「荒坂の津」は、日本書紀では「丹敷浦(にしきのうら)」とも呼ばれておりは、現在の三重県熊野市だと言われています。
なお、和歌山県の新宮に「荒坂の津」があったという考え方もあります。例えば、和歌山県新宮市には、「熊野荒坂津神社」があります。また、和歌山県那智勝浦の「熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)」の中には、神武天皇が討伐した「丹敷戸畔」を祀る「丹敷戸畔神社」や、「神武天皇頓宮(とんぐう)跡」があります。
しかし、「熊野荒坂津神社」は、明治百年を記念して昭和42年4月に建てられた新しい神社です。また、「荒坂津神社」と命名した理由も、和歌山県の三輪崎から新宮に抜ける高野坂を「荒坂山」と呼んでいたことに由来するようです。そのため、「荒坂の津」は、三重県の熊野市であると考えるのが妥当で、その後、新宮を経由して大和へ向かったものと考えられます。
なお、「日本書紀」では、神武天皇の軍は、神の霊気にやられたことになっています。一方、「古事記」では、「大きな熊がちらりと見え隠れして、そのまま姿を消した」ために、神武天皇の軍は意識を失ったことになっています。
高倉下は、神武東征の頃は、熊野(現在の和歌山県新宮市)の支配者でしたが、神武天皇が大和を平定した後は、しばらく、大和の「高尾張邑(奈良県葛城市の葛城山の麓)」にいました。しかしその後、天皇の勅命で、次のような場所で、平定や開拓を行ったと言われています。
尾張国:愛知県。尾張開拓の祖神として「天香山命」の名前で知られる。 讃岐?:香川県。「天隠山命(あめのかぐやまのみこと)」の名前で、子供の「天五田根命 (天村雲命)」と開拓を行う 越国(こしのくに):現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方 |
神武天皇が即位してからは、「天香山命」や「天隠山命」の名前での活躍の記録が、残っています。
高倉下の見た夢
「高倉下」が、「布都御魂」を手に入れる前に見た夢は、次のようなものです。
1.「天照大御神」と「高木神(タカギノカミ)」が、神武天皇の苦戦を心配する 2.「建御雷神(タケミカヅチノカミ)」を呼び、「葦原中国(地上)」に降って、手伝うように命じる 3.「建御雷神」は、「出雲の国譲りで使った神剣『布都御魂』を渡せば大丈夫」と進言 4.「建御雷神」は、「高倉下の倉のてっぺんに穴を開けて『布都御魂』を渡そう」と提案 |
そして、高倉下が夢から覚めて、倉庫を見に行ってみると「布都御魂」があったそうです。なお、高倉下が「布都御魂」を手に入れた倉の頂は、神倉山山頂の神倉神社(和歌山県新宮市)の御神体「ゴトビキ岩」を指すと言われています。
高倉下神社
高倉下と関係のある神社には、次のようなものがあります。
高倉神社:和歌山県新宮市。御祭神は「高倉下」。 神倉神社:和歌山県新宮市。御祭神は「高倉下」と「天照大御神」。高倉下が「布都御魂」を受け取った場所と関係あり。 熊野速玉大社:和歌山県新宮市。御祭神に「高倉下」あり。 椋下神社(むくもとじんじゃ):奈良県宇陀市。御祭神は「高倉下」。 田村神社:香川県高松市。御祭神に「天隠山命(高倉下命の別名)」あり。 高座結御子神社:愛知県名古屋市熱田区。御祭神は「高倉下」。 真清田神社:愛知県一宮市。「天香山命(高倉下の別名)」が、父親の「天火明命(饒速日命の別名)」を祀るために作られた 石上神宮(いそのかみじんぐう):奈良県天理市。御祭神は布都御魂剣の神気「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」、御神体は「布都御魂」。 石上布都魂神社 :明治前は、御祭神が「布都御魂」だった。現在は、「素盞嗚尊(スサノオ)」。 彌彦神社(弥彦神社):新潟県西蒲原郡弥彦村。「越国」を平定した「天香山命(高倉下の別名)」を祀っている。 |
「高倉下」「天香山命」「天隠山命」の名前で、各地で御祭神として祀られています。