ヤタガラス(八咫烏)

ヤタガラスとは(八咫烏とは)

ヤタガラスとは、「八咫烏」と書き、日本書紀や古事記で、次のようにして登場する、神の使いのカラスです。

.初代天皇である神武天皇が、大和(奈良県)に都を開く決意をして「神武東征」へと向かう
.神武天皇の軍は、日向(宮崎県)から大和(奈良県)に向けて、海で進軍する
.神武天皇の軍は、白肩津(大阪府東大阪市)から、陸路で大和(奈良県)に攻めるが、抵抗に遭う
.神武天皇の軍は、仕方なく、熊野(三重県熊野市)まで海路で行き、熊野から山を超えて、大和(奈良県)へ向かうが、山の中で迷う
.アマテラスが、山の案内役として、神武天皇にヤタガラスを遣わす
.神武天皇の軍は、ヤタガラスの道案内で、山中を超えて、大和(奈良県)へ入ることができる

なお、「日本書紀」と「古事記」では、ヤタガラス(八咫烏)を遣わす神が違います。

日本書紀:アマテラスオオミカミ(天照大御神)
古事記:タカギノカミ(高木神、=カムムスヒ=タカミムスヒノカミ(高御産巣日神))

ちなみに、「ヤタガラス(八咫烏)」という言葉には、次のような意味があります。

1.八咫烏の「咫(あた)」:長さの単位。手を広げたときの親指から中指までの長さで、約18cm。
2.八咫(やあた):18cmの8倍なので、約144cm。

ただし、八咫烏の「八咫」は、単に「大きい」というだけの意味です。そのため、日本書紀や古事記の「ヤタガラス」は、「大きいカラス」です。

そして、現在では、「ヤタガラス」は、次のように神格化されています。

太陽の化身:アマテラスより遣わされたため
先導神:神武天皇の軍を案内したため

そのため、ヤタガラスを祀っている神社もあります。

ヤタガラス伝承:八咫烏は3本足の烏なのか?

「ヤタガラス」は、日本サッカー協会のマークにもなっている3本の足のカラスだと思われていますが、実際は、次のようになっています。

日本書紀と古事記には、ヤタガラス(八咫烏)が「3本足」であるという記述はない

実は、「八咫烏=3本足」という記述が見られるのは、次のように、西暦900年代に入ってからです。

930年頃(平安時代中期):「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」で、源順が「(三足烏は)八咫烏だろう」と、個人の見解として述べている

「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」は、平安時代に作られた辞書で、個人の見解として、八咫烏が三本足だろう、と書いています。

しかし、江戸時代の国学者である本居宣長は、何十年にも渡って研究を続けて「古事記伝」を完成させましたが、「古事記伝十八之巻」において、「倭名類聚抄」の「八咫烏が三足烏」という部分について、「納得がいかない」と書いています。また、大正時代以前の書物を見てみても、「倭名類聚抄」以外には、ヤタガラスの足が3本であるという記述はありません。

そのため、「八咫烏=3本足」というイメージは、戦後しばらくしてから作られたものだと考えられています。ただし、「3本足の烏」というのは、次のように、昔から登場はしていました。

.中国で紀元前100年頃に書かれた「淮南子(えなんじ)」には、10羽の3本足のカラスが空に昇り、口から火を吐き出すと太陽になるという記述がある
.紀元前33年から建てられていった、和歌山県の、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の神紋は「三本足の烏」
.600年代末~700年代初めに作られた、奈良県明日香村のキトラ古墳の天井に、天文図の中に描かれた3本足のカラスが出てくる

ちなみに、神武東征が行われた時期や、古事記・日本書紀が書かれた年は、次のようになっています。

神武東征:紀元前660年頃
古事記:712年に完成
日本書紀:720年に完成

熊野三山の三社の神紋には「三本足の烏」が出てきますが、熊野三山の神社の由緒には「三本足の烏は、八咫烏である」という記述はないため、「三本足の烏=八咫烏」を結びつける資料はありません。

なお、熊野三山が作られたのは、第十代崇神天皇の時代(紀元前97年~紀元前30年)です。当時、熊野の地を治めていた「アメノホアカリノミコト(天火明命)」の孫である「熊野連(くまのむらじ)」が、夢の中で、證誠大権現(=熊野大神=スサノオ)・熊野夫須美大神・速玉之男大神に祀るように命じられてから、作られたものです。

ちなみに、熊野三山では、カラスは次のように考えられています。

熊野三山のカラス:ミサキ神(死霊が鎮められたもので、神徒)

また、熊野三山における3本足のカラスは、熊野大神(スサノオ)に仕える存在とも考えられています。

そのため、「3本足のカラス=ヤタガラス」という、直接的な結びつきはありません。しかし、神武天皇がヤタガラスに案内された位置と、熊野三山の場所はほぼ同じなので、戦後に「三本足の烏=八咫烏」と、結び付けられて考えられるようになったのかもしれません。

ヤタガラスを祀っている神社

ヤタガラス(八咫烏)と関係のある神社には、次のようなものがあります。

熊野三山(和歌山県):熊野本宮大社(和歌山県田辺市)・熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)・熊野速玉大社(和歌山県新宮市)の3つの神社。ヤタガラスを祀っているわけではないが、神紋は「三本足の烏」。
八咫烏神社(奈良県宇陀市):御祭神が、建角身命(たけつぬみのみこと)。ヤタガラスは、建角身命(たけつぬみのみこと)の化身であると言われている。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ、京都市左京区):一般的には「下鴨神社」と呼ばれる。御祭神が、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと=建角身命)。

なお、「建角身命(たけつぬみのみこと=賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、次の通り、ヤタガラスと関係があるとされています。

.815年(平安時代初期)の『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に、ヤタガラスは、カムムスヒ(高木神)のひ孫である「建角身命(たけつぬみのみこと)」の化身であると書かれている
.「建角身命」は、賀茂県主(かものあがたぬし)の祖神であるとされており、「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」とも呼ばれる

そのため、賀茂(鴨)氏の一族が、神武天皇の東征の先導役をしていた、と考えることもできます。

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