神武天皇の兄弟

神武天皇の兄弟とは?

神武天皇は、天孫降臨で南九州に降り立った、ニニギノミコトという神様のひ孫で、4人兄弟の末弟として生まれました。

神武天皇の父親は、神様である「鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」という神様で、母親は、海神の娘である「玉依姫(たまよりひめ)」です。

ちなみに、母親である「玉依姫(たまよりひめ)」は、父親である「鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」の伯母です。「鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」は、母親の妹と結婚したことになります。

なお、神武天皇の兄弟は、神武天皇も含めて、次にようになります。

長兄:彦五瀬命(ひこいつせのみこと)、五瀬命(いつせのみこと)
次兄:稲飯命(いないのみこと)、稲氷命(いないのみこと)
三兄:三毛入野命(みけいりののみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)
末弟:神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)

そして、末弟の「神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)」が、神武天皇です。

神武天皇の兄弟、彦五瀬命とは?

日本書紀では「彦五瀬命(ひこいつせのみこと)」と書かれ、古事記では「五瀬命(いつせのみこと)」と書かれます。

神武天皇の兄弟で、神武天皇と一緒に、宮崎の日向(ひむか)から奈良の大和へ向かう「東征(とうせい)」に参加しました。何年もかけて、大阪まで到着し、大阪から上陸して大和に向かいましたが、浪速国の白肩津(今の大阪の枚方のあたり)で、大和の豪族である長髄彦(ながすねひこ)と戦いになります。そして、長髄彦の矢があたり、傷を負いました。彦五瀬命は「日の神の御子である自分たちが、日に向かって(東に向かって)攻めるのはよくない」と言い、海を南下して、東から回り込んで戦う計画を立てます。しかし、南に向かっている途中、和歌山県の海に入る直前(または和歌山県の海に入った後)に、矢の傷が原因で亡くなりました。

彦五瀬命の墓は、和歌山県の竈山神社(かまやまじんじゃ)に残っており、彦五瀬命の古墳は竈山神社の裏側で見ることができます。

神武天皇の兄弟、稲飯命とは?

日本書紀では「稲飯命(いないのみこと)」と書かれ、古事記では「稲氷命(いないのみこと)」と書かれます。

神武天皇の兄弟で、神武天皇や「彦五瀬命(ひこいつせのみこと)」とともに、「東征」へ参加しました。彦五瀬命が亡くなった後、そのまま南下して、和歌山県の熊野の海を進んでいるとき、暴風に遭います。そのとき、「自分の先祖は天の神で、母親は海の神なのに、どうして陸で苦しめられ、さらに海で苦しめられるのか」と嘆き、剣を抜いて海に入っていきました。そしてそのまま、刀剣の神である「鋤持神(さいもちのかみ)」になったと言われています。

なお、稲飯命(いないのみこと)は、そのまま韓国の新羅に渡ったという、次のような逸話もあります。

神羅の国王になった
神羅王の祖先と結婚した

「但馬故事記」では、「稲飯命(いないのみこと)」と「豊御食沼命(= 三毛入野命、みけいりののみこと)」は、和歌山の海に入るところで台風に遭い、そのまま神羅に漂流したという話が残っています。

また、稲飯命(いないのみこと)の5世がアメノヒボコで、神羅から日本の兵庫県の出石(いずし)に移り住んだという逸話も残っています。
ました。

神武天皇の兄弟、御毛沼命とは?

日本書紀では「三毛入野命(みけいりののみこと)」と書かれ、古事記では「御毛沼命(みけぬのみこと)」とも書かれます。

神武天皇の兄弟で、神武天皇や、「彦五瀬命(ひこいつせのみこと)」や「稲飯命(いないのみこと)」とともに、「東征」へ参加しました。彦五瀬命が亡くなった後、そのまま南下して、和歌山県の熊野灘に入ったとき、暴風に遭います。そのとき、「自分の母親も叔母も海神なのに、どうして海が荒れて溺れさせるのか」と嘆き、波頭を踏んで、常世に行きました(常世の国渡り)。

ちなみに「常世の国」とは「死者の国」というイメージがありますが、日本神話では、「黄泉の国(根の国)」という、地下にある死者の国があります。一方、「常世の国」は、海のかなたにあると言われており、「生命が永遠に絶えない」という意味を持ち、不老不死に関連する理想郷としての位置づけもあります。

「三毛入野命(みけいりののみこと)」は、先ほどの「彦五瀬命(ひこいつせのみこと)」とともに神羅に流れ着いたという逸話もあります。また、もうひとつ有名なのが、兄弟たちとはぐれて、地元に戻ったという話です。

風雨に船ごと押し流され、はぐれてしまったので、仕方なく、高千穂に帰ってきた。七ヶ池を通りがかると、鬼八(きはち)にさらわれた鵜目姫(うのめひめ)が映り、助けを求めた。三毛入野命(みけいりののみこと)は、たくさんの従者とともに鬼八を倒したが、一夜で復活してしまった。そのため、鬼八の体を3つに分け、別々の場所に埋めた。三毛入野命(みけいりののみこと)に助けられた鵜目姫(うのめひめ)は、三毛入野命と結婚し、八人の子供を生んだ。

なお、鬼八が倒された後、早霜で作物が育たなくなったため、鬼八の祟りを鎮めるために行われはじめた祭りが、現在でも旧暦の12月3日に高千穂神社で行われている「猪掛祭(ししかけまつり)」です。

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