誉田別命の読み方
「誉田別命」の読み方は、「ほんだわけのみこと、ホンダワケノミコト」と読みます。あまり聞き慣れない神様の名前ですが、次のような名前でなら、聞いたことがある方もいるかもしれません。
- 八幡さま(読み方は、はちまんさま)、八幡神(はちまんのかみ)、八幡大菩薩
- 応神天皇(読み方は、おうじん天皇)
鎌倉の「鶴岡八幡宮」や、武士が戦勝祈願するときの「南無八幡大菩薩」といった言葉も、「誉田別命(ほんだわけのみこと、ホンダワケノミコト)」の別名の「八幡さま」から来ています。
誉田別命とは
誉田別命とは、第15代天皇である応神天皇(おうじん)の生前の名前です。応神天皇は、歴史的に実在した最初の天皇であると考えられている人物です。
「応神」というのは、死んだ後の諡号(しごう、贈り名)で、母親の神功皇后(じんぐう皇后)が神懸かりして生んだ神の御子であるため、「王神=応神」となりました。
誉田別命とは、「古事記」などによれば、次のように書かれています。
- 筑紫国(つくしのくに、北九州)で生まれた
- 大和国(やまとのくに、奈良)に戻って、母の神功皇后の摂政の元で、皇太子になった
- 皇后の死後、第15代天皇に即位した
- その後41年間の治世では、すぐれた政治を行った
応神天皇の行ったこととしては、百済からの帰化人を積極的に受け入れたり、中国の文芸や工芸を盛んに導入したことなどが挙げられます。そのため、応神天皇は、日本の文化の基礎が築いた天皇として、評価されています。
死後、「応神」の諡号を贈られた応神天皇は、その後、八幡信仰の祭神となり、八幡神・八幡大菩薩とも呼ばれ、文武両道の神として、神威を全国に広めていきました。
誉田別命が、八幡信仰と結びついた時期や経緯については、いまだ解明されていない点も多いですが、次のように考えられています。
- 八幡神は、古代日本に大陸文化が真っ先に入ってきた、北九州で生まれた
- 応神天皇の時代の頃である4世紀末(古墳時代)に、朝鮮半島進出や東国平定など、大和朝廷が大きく発展した
- その中で、応神天皇(=誉田別命)と八幡神を、結びつけて考えるようになった
なお、平安後期の歴史書である「扶桑略記(ふそうりゃっき)」には、八幡神が現れたという記述があります。
- 6世紀中頃に、豊前国(ぶぜんのくに、大分県)宇佐郡の池のほとりに、容貌奇異な鍛冶の翁が住んでいた
- この土地の神主である太神比義(おおがなみよし)が、金色のタカやハトに変身する翁を見て、翁に3年仕えた
- ある日、太神比義が、「もし神ならば、私の前に姿を表してください」と祈ると、翁は3歳の子どもに姿を変えて、竹の葉の上に立った
- そして翁は、「われは15代の応神天皇であり、護国霊験威新神大自在王菩薩(ごこくれいげんいしんじんだいじさいおうぼさつ)なり」と名乗った
大分県には、八幡信仰の総本社である宇佐神宮であるため、八幡神は、九州と縁のある神様です。
誉田別命(ホンダワケノミコト、ほんだわけのみこと)のご利益
「誉田別命(ホンダワケノミコト、ほんだわけのみこと)」は、「応神天皇」という呼び名もありますが、神社の祭神名としては、生前の名前である「誉田別命」で祀られていることが多いです。
また、「誉田別命」は、八幡信仰と結びつけて考えられているため、八幡神の神徳も備えています。八幡神は、北九州で生まれた後、土着の様々な信仰や仏教も取り込み、武神としての神威を発揮し、国家神へと発展しています。さらに中世以降は、源氏に代表される武家の守護神として崇められ、戦前までは、武の神様とされてきました。しかし戦後は、平和な時勢の中で、教育や縁結び、交通安全といった、日常生活に根ざした文化神的側面が信仰の中心となり、広く庶民の生活を守護する、諸願成就の庶民的な神として、神徳を発揮しています。
そのため、誉田別命(八幡神)は、現在では文武の神様となっているため、ご利益には、次のようなものがあります。
- 国家鎮護
- 殖産興業
- 家運隆昌
- 成功勝利
- 教育
- 交通安全
- 悪病・災難除け
- その他、諸願成就
なお、八幡信仰の核をになってきた神社には、次の3社があります。
- 宇佐神宮:大分県。八幡信仰の発祥地でもあり、八幡信仰の総本山
- 鶴岡八幡宮:神奈川県鎌倉市。源頼朝が創建した、八幡信仰の拡大拠点
- 岩清水八幡宮:京都府。宇佐神宮と鶴岡八幡宮の、中継拠点
八幡神は、源氏の守護神であったため、全国の武士層だけでなく一般民衆の間にも浸透しました。そのため現在では、八幡系の神社の分祀(ぶんし)の数では、稲荷社についで第二位です。その数は、3万とも4万とも言われており、日本全国どこの町や村に行っても出会うことができ、「八幡さま」と呼ばれて、皆に親しまれています。
なお、八幡信仰は、九州地方に古くから広がっていた母子信仰とも関係が深いと言われています。そのため、八幡社の主祭神は「誉田別命」ですが、ほとんどの八幡社では、同時に、母親の聖母神「神功皇后(息長帯比売命、おきながたらしひめのみこと)」を合祀していたり、配祀しています。そのため、縁結びや子宝、子育て守護といったご利益もあります。
実際、八幡信仰の総本社でもある宇佐神宮では、「誉田別命」とともに、「神功皇后(息長帯比売命、おきながたらしひめのみこと)」も祀られています。